蒼天秘話

「友と竜と」


早朝の雨で湿った干し草の山が、白い煙を吐き出しながら燃えている。
何度となく煙を吸い込み、その度にむせ返りながらも、少年は必死に走り続けた。無事でいてくれと念じながら。
だが、その想いはあえなく打ち砕かれた。ようやく辿り着いた自宅の庭先で、両親の焼けただれた亡骸を見つけたからだ。せめて弟だけはと願う微かな希望さえも、半壊した家に入ったところで潰えてしまった。彼は見つけたのだ、床に横たわるその姿を……。
少年は、弟の近くに駆け寄り膝を突いた。上半身には傷ひとつなく、まるで眠っているかのようにさえ見える。だが、無残にも崩落した梁により下半身が潰されていた。震える手で弟の雪のように白い髪をなでながら、少年は滝のように涙を流し、そして呪った。
故郷「ファーンデール」を襲った邪竜「ニーズヘッグ」を……羊の放牧に出ていたがために、ただ独り生き残ってしまった己の運命を……。
「おい、起きろ! 生きているんだろう!」
男の声に導かれるようにして、エスティニアンは夢から覚めた。
「アルベリク……?」
ぼやけた視界に男の姿を認め、反射的にエスティニアンは己の師匠の名を呼んだ。しかし、どうやら別人だったらしい。
「アルベリク卿のことか?
 どうやら、まだ混乱しているようだな。これでも飲んで目を覚ますんだ」
羊の胃袋で作られた水筒から強引に水を飲まされて、ようやくエスティニアンの意識は覚醒した。地に伏していた彼の側に、若い黒髪の男が膝を突いて、心配そうに顔をのぞき込んでいる。
年齢は自分と変わらない……20代前半だろう。鉄灰色の鎖帷子から、自分と同じ神殿騎士団の一員だと解った。
だが、名前が分からない。ひたすらに竜を狩る力を得ようと槍術の鍛錬に明け暮れていたエスティニアンは神殿騎士となってからも、ほかの団員たちとなれ合うことなく、常に孤高の存在であり続けていたのだ。
「すまない、世話をかけたな……」
そう言葉にしたものの、後が続かない。
「やれやれ、同じ部隊だというのに、名前も覚えてくれていないのか?
 私の名はアイメリク。お互い、この状況でよく生き残れたものだ」
そう言われて、エスティニアンは周囲を見て息を呑んだ。未だ火が燻る牧草地に、十名を超える騎士が倒れている。激しい炎にさらされたらしく、いずれも皮膚は焼け、鎧も煤にまみれていた。その光景を見て、ようやく彼は思い出した。
ドラゴン族の目撃情報が入ったため、早朝、部隊の仲間と中央低地に入り、エバーレイクス周辺の哨戒任務についたこと。そして、なだらかな牧草地に入ったところで、岩陰に潜んでいた大型ドラゴンの奇襲を受け、ブレスの炎に焼かれたこと。果敢に反撃し、どうにか槍を突き立てて撃退したことまでは覚えていたが、どうやら大量の煙を吸い込んで倒れてしまったようだ。
あの夢を見たのも、牧草が焼ける独特の匂いのせいだろうか……。
そう思った途端、仲間の亡骸に肉親の影が重なり、強烈な憎しみが心の底から沸き上がってきた。両親の……弟の仇であるドラゴン族は、一匹たりとも生かしてはおけない。
「悪運だけは、昔から強いものでな……」
立ち上がったエスティニアンは、目眩を感じながらも、味方の亡骸から一本の槍をつかみ取り、歩き出した。
「おい、皇都に戻るなら逆だぞ?」
アイメリクと名乗った黒髪の騎士が、慌てた様子で呼び止める。
「せっかく命拾いをしたんだ、お前は皇都に戻るがいい……。
 俺は、ヤツを必ず仕留めてみせる」
「たったひとりでドラゴン狩りを? 無茶だ!
 何より追撃しようにも、私たちを襲ったドラゴンがどこに去ったのかさえ解らないのだぞ?」
エスティニアンは、振り返ってニヤリと笑う。
「気を失う前、俺はヤツの土手っ腹に、槍をブチ込んでやったのさ。
 見ろ、牧草地に点々と残る血痕を……こいつを辿れば行き着くはずだ」
それだけを言って、エスティニアンはひとり再び歩き出した。弟の夢を見せてくれた礼は、必ず返さなければならない。


数時間に及ぶ追跡行の末、エスティニアンはついに獲物を見つけ出した。
傷を負ったドラゴンは、身を隠すために深い谷間の天然洞窟に逃げ込んだようだ。
「こちらの体力にも余裕がないもんでな……速攻で勝負を決めさせてもらう!」
自分の心を奮い立たせるようにつぶやくと、エスティニアンは槍を構え疾走した。ドラゴンが襲撃者に気付き、首をもたげた時には、間合いは十分に詰まっていた。
ドラゴンが炎のブレスを吹くと同時に懐へと飛び込み、身を躱しながら槍を突き上げる。
戦神鋼の穂先が、ドラゴンの翼膜を切り裂く。
鼓膜を振るわす咆吼が、洞窟内に響き渡る。
「ククク……これで、もう飛んで逃げられんぞ。
 もっとも、この狭い洞窟内じゃあ、自由に飛び回ることもできんだろうがな!」
だが、自慢の翼を傷つけられ怒り狂うドラゴンには、元より逃げるつもりはないらしい。
痛みと怒りに身を震わせ、エスティニアンに襲いかかってきた。薄暗い洞窟内で、若き神殿騎士と傷ついたドラゴンの一騎打ちが始まる。
エスティニアンの槍が竜の鱗を削いだかと思えば、炎のブレスが鎖帷子を赤熱させる。
互いの体力を削り合う一進一退の攻防に変化を与えたのは、偶然の出来事だった。
エスティニアンは、障害物が多い洞窟の地形を上手く利用し、何度となくドラゴンの攻撃を躱していた。だが、避けたブレスに焼かれた岩盤の一部が、ついに熱に耐えきれなくなり崩落したのだ。
全神経をドラゴンの動きに集中させていたエスティニアンは、突然、頭上から降り注いできた岩石への反応が遅れてしまう。
「チッ!」
どうにか致命傷となるような大岩の直撃は免れたが、続けざまになぎ払われたドラゴンの尾を避けることはできなかった。
全身を貫く衝撃とともに、声にならぬ悲鳴を上げたエスティニアンは、洞窟の壁に叩きつけられる。

視界がぼやける中、やけに意識だけがハッキリとしていた。
ドラゴンが一歩、また一歩と迫る震動を感じながら、脳を揺さぶられたせいか身体がピクリとも動かない。
「ここまでか……」
ようやく槍を握る指先に力が戻りかけたときには、眼前にドラゴンの姿があった。怒りをブレスに込めるかのように、大きく息を吸い込んだドラゴンの肺がふくれ上がるのを、エスティニアンは呆然と見上げていた。
しかし、そのブレスがエスティニアンを焼くことはなかった。
突然、ドラゴンの頭が大きくのけぞり、ブレスの炎があらぬ方向に向かって吐き出されたのだ。
何が起こったのか解らなかったが、エスティニアンは好機を見逃さなかった。
「おおおおおぉぉぉぉッ!」
雄叫びとともに底力を振り絞り、エスティニアンの身体が跳躍する。
それは、かつて自分を救ってくれた「蒼の竜騎士」の動きをトレースしたかのような、完璧な跳躍攻撃だった。
最高到達点で身体をひねり、穂先にすべての体重を乗せ、自らが槍となって降下する。
かくしてエスティニアンは、初めて竜狩りを成し遂げた。
眼前に横たわる大型ドラゴンの眼には、一本の矢が深々と刺さっている。呆然とドラゴンの死骸を見つめていると、弓を手にした男が彼の横に並んだ。
「お前……帰らなかったのか……」
「馬鹿を言うな。
 満身創痍で、単身ドラゴンを追撃する仲間を見捨てられるほど、私は非情じゃないぞ」
「すまない……世話をかけたな……」
ぶっきらぼうに礼を言うエスティニアンに対し、黒髪の男は苦笑いをした。
「これで貸しはふたつだからな。皇都に戻ったら、酒のひとつは奢ってもらうとしよう。
 それと、私の名はアイメリクだ。君の友になる男の名前くらい、覚えておいてくれ」
今度はエスティニアンが苦笑いをする番だった。

「氷の女神」


手にした淡い水色のクリスタルを、イゼルは強く握りしめていた。
敵対者として出会った光の戦士と「暁」の少年、そして、決して相容れることのないと思っていた蒼の竜騎士……奇妙な組み合わせの同行者たちとの旅は、ここドラヴァニア雲海の「白亜の宮殿」で終わりを告げた。待ち望んでいたはずの聖竜「フレースヴェルグ」との対面も、ただ幻想を撃ち砕かれるだけの結果に終わってしまった。
そして彼らは、邪竜「ニーズヘッグ」を倒すことで「竜詩戦争」を終結させるという道を選んだのだ。彼女は戦いを止めることができなかった。
だが、一度は絶望に呑まれたものの、それでも彼女はせめて人同士の争いを止めんと、皇都に侵攻した同志たちを止めて見せた。その同志とも別れた今、彼女は静かにこれまでの出来事を思い出していた。
「すべての始まりは、あの出会い……」
5年前、寒さに追われて辿り着いた高地ドラヴァニアの地で、イゼルは偶然にも聖竜と出会った。
慣れぬ土地を彷徨い森から出てしまった彼女と、雲海の彼方から獲物を求めて降下してきた聖竜の出会いは、果たして偶然だったのだろうか。星の意思が導いた運命だったのかもしれないと、今の彼女は思う。
「聞いて、感じて、考えて……」
かつて星の意思の呼びかけを聞いた彼女は、その真意と常に向き合ってきた。
聖竜の過去を視ることで「竜詩戦争」の発端となる人の裏切りを知った彼女は、竜たちの慟哭を聞き、その悲しみを感じることで、異端と呼ばれる道に立ち入った。千年続く果て無き戦いを止める方法と考えた結果である。
自ら手を汚す覚悟を決めた彼女は、異端者たちに接触し、やがて異能を用いて彼らを率いる「氷の巫女」となった。
すべては戦いを導く、皇都「イシュガルド」の頂点、教皇を倒すため。
「教皇を排除し、戦いに疲れた人々に真実を告げれば、すべてが終わると信じていた……」
「だが、そうはならなかったのだな?」
古のドラゴン語で紡がれた問いかけに、イゼルは頷く。
両の眼を取り戻した聖竜「フレースヴェルグ」が、じっと彼女を見つめていた。
「私は、同志を率いて魔法障壁を破り、ニーズヘッグに連なる竜たちを皇都に導きました。
 彼らが教皇を倒してくれると信じていたから……」
イゼルの組織は、砂の都「ウルダハ」の商人から情報や物資を得ていた。彼らの目的がどこにあるのか明確に解っていた訳ではないが、大義の前には些細なことと考えた。
商人たちから神殿騎士団総長が戦勝祝賀会に招かれると聞き、皇都への再攻撃を実行した。そして彼女は防衛責任者が不在の皇都を奇襲し、見事に魔法障壁を打ち破り、竜たちを皇都へと導いてみせたのだ。
だが、イゼルの期待に反して、竜たちは教皇庁を目指すことはなかった。復讐の好機に酔いしれた竜たちは、皇都に入るや手近にいる弱き者たちに襲いかかった。
下層民たちが暮らす雲霧街で繰り広げられた凄惨な殺戮劇を見て、彼女は自分が何をしてしまったのかに、ようやく気付いたのだ。
「まことに愚かな娘よ……」
今のイゼルは、聖竜の言葉を正面から受け入れる覚悟ができている。
「そう、私は愚かだ……過去の裏切りも、シヴァの想いも、竜たちの怒りも……。
 すべてを都合の良いように解釈し、取り返しの付かない罪を犯してしまった。
 だからこそ、この罪を償わなければ……」
その想いあればこそ、彼女は光の戦士たちと旅したのではなかったのか?
そうだ。そうなのだ。だからもう一度、光の戦士たちと共に歩もう。その先に何があるのかは解らないが、共に考えることで導き出せる答えがあるはずだ。彼女を盲信し、教皇や貴族たちへの憎しみを向けるばかりの同志たちとは違う、本当の仲間の姿がそこにはあった。
「行くのか娘よ……」
「えぇ、私は行きます……光の戦士たちの下へ……。
 今はどこにいるのか解らないけれど、彼らと合流し、ふたたび共に歩むつもりです」
決意を告げる彼女の顔を見て、偉大なる聖竜の顔が歪んだ。
それは竜の微笑みだった。
「ならば我の背に乗るがいい、幻想を抱く娘よ。
 ニーズヘッグの眼を持つ者が、禁断の魔大陸へと向かっている。そして、竜を狩る者が持つ眼も、
 これを追うように動いている。光の使徒もまた、そこにおろう……」
「まさか……竜の眼の在処が、解るというのですか?」
聖竜は、肯定するかのように喉を鳴らした。
「狂気に堕ちたとはいえ、我が兄弟の眼を、人の手に委ねたままにしておくのは忍びない。
 さあ、どうする? 無理にとは言わぬぞ……」
イゼルは、手にしたクリスタルを今一度、強く握りしめた。
光のクリスタル……かつて星の意思より託された希望の証……。その冷気を確かめるように強く握りしめる。
「私を連れて行って、フレースヴェルグ!」
それは奇しくも千年の昔、ひとりの女性が発した言葉と同じだった。
私を連れて行って、フレースヴェルグ。貴方の魂といつまでも寄り添えるようにと。聖竜が心の中で涙を流していたことをイゼルは知らない。
大鷲にも似た聖竜の翼が広がり、風のエーテルを捉える。不思議な浮遊感とともに、聖竜「フレースヴェルグ」が雲海の空に舞い上がった。
その背に、シヴァになりきれなかった女を乗せて……。


竜の背に揺られる数刻の飛行の後、イゼルは前方に禍々しい光を見た。
そこから発せられる怒りと悲しみが渾然一体となった、どす黒い怨念のエーテルを感じ取った瞬間、彼女と聖竜は理解した。
「竜の眼の力を解き放ったか……」
聖竜の呻きに、イゼルは応じる。
「急いでフレースヴェルグ、彼らの下へ……」
続いて見えたのは、ガレマール帝国軍の巨大飛空戦艦の砲火が、蒼い翼の飛空艇を襲う光景だった。
あの船に光の戦士たちが乗っている。そう直感したイゼルは、決意を固めた。
「かつて星の意思から授かった、光のクリスタル……。
 ……今こそ使う時か」
手にした淡い水色のクリスタルを、イゼルは強く握りしめていた。
これまでよりも、一層強く。
「これまで、自分の主我のために、多くの犠牲を出してきた。
 結局私は、凍えた身体を温めるための、仲間が欲しかったのだ……そのために、大義を創った」
それは懺悔の言葉であり、希望を託す遺言だ。
「許して、シヴァ……そして、フレースヴェルグ。
 それでも私は、どうしても見てみたい……。少女が雪原のただ中で、凍えずとも済む時代をッ!」
聖竜が帝国軍の巨大飛空戦艦の上空に達したとき、イゼルはその背から飛び降りた。
彼女の決意を感じ取り、聖竜は哀しみの咆吼を発する。
千年の昔、愛する人を喰らった聖竜は、以後決して人を殺めぬという不殺の誓いをたてていた。それを知っていたからこそ、イゼルもまた、人同士の戦いに対する助力を求めずにいたのだ。
「ありがとう、フレースヴェルグ」
咆吼を聞き、聖竜の想いを感じ取ったイゼルが、最後の戦いに臨む。
「聖女シヴァ……いえ、願いによって造られた私自身の神よ!
 今こそ我が身に降りて、真の融和のために、最期の静寂を!」
手にしたクリスタルが、光となって溶けてゆく。
そして彼女は氷神となる。聖女シヴァへの願いと、幼き頃より聞かされてきた氷河と戦争の女神、ハルオーネの神話がない交ぜとなり、この世に創られた彼女自身の神に……。
真の仲間たちに、希望を託すため……。

「銀剣のオルシュファン」


皇都「イシュガルド」がよく見える場所に置かれた碑石に、いつの間にか盾が立て掛けられていた。
黒地に赤の一角獣……フォルタン家の紋章が描かれたそれには、大きな穴が穿たれている。紛れもなく、その盾が彼の物であることの証だ。かけがえのない友を失った悲しみがぶり返し、フランセルの心は軋みを上げた。
「まったく、いつも君はそうだ……」
手向けるために持ってきたはずの花を、彼は握りつぶしていた。
彼と初めて会ったのは、15年……いや、16年前のことになる。
当時6才だったフランセルをお披露目しようとする父に連れられ、フォルタン伯爵主催の晩餐会に出席したときのことだ。
貴族社会の重鎮たちの間を回り、ひたすらに教えられたとおりの言葉で挨拶を繰り返すだけの晩餐会は、幼いフランセルにとって耐えがたいものだった。それは極度の緊張を強いられるもので、一通りの挨拶回りが終わる頃には、疲労困憊していた。
そこで父に頼み込み、屋敷の外で涼むことにした。すでに酔いが回り始めていた父が二つ返事で了承してくれたので、フランセルはこれ幸いとテーブルから大好きなプディングを一皿くすね、屋敷を抜けだした。
「フンッ! ヤッ! タアッ!」
フォルタン伯爵邸近くの東屋で、ご馳走にありつこうと思い立ったフランセルだったが、そこには奇妙な先客がいた。上半身裸で、木刀を振る少年だ。
「ねぇ、何をしているの?」
フランセルは、思ったままの言葉を口にした。一方、声をかけられた少年は、一瞬、予期せぬ客の姿に驚きながらも、ぶっきらぼうに答えた。
「何って……剣の修行だ。見てわからないのか?」
フランセルは、子どもながらに「晩餐会とは人が夢中になるものだ」と思い込んでいた。
だから、人と騒ぐことを好まない自分のほかに、会場から抜け出していた者がいることに驚いた。
「……だけど、今日は晩餐会だよ?」
「そんなのオレには関係ないよ。
 お義母さま……フォルタン伯爵夫人は、晩餐会にオレが出ることを望まない。
 父上は大丈夫って言ってくれるけど、修行のほうが好きだ……
 イイ騎士になるには、剣の腕が必要だからな」
銀髪の少年、オルシュファンがフォルタン伯爵の私生児であり、伯爵夫人に疎まれる存在であることを理解するには、フランセルは幼すぎた。それゆえ、彼は木刀を手にした年上の少年を、自分と同じ「晩餐会嫌い」なのだと素直に受け止め、親近感を抱いた。
「じゃあ、僕といっしょにプディング食べない? 美味しいよ?」
オルシュファン少年は、いったい何なのだと言わんばかりに片眉を上げた。
かくしてふたりは出会い、そして友人になったのだ。


実に対照的なふたりだった。
共通点と言えば、どちらも名門貴族の息子であるということくらい。それも、正式な四男と私生児であるのだから、立場の差には歴然としたものがある。
本の虫であり大人しいフランセルに、剣を好み物怖じしないオルシュファンと、性格も正反対。年齢が6才離れていることもあって、体格の差も大きい。
だが、不思議とふたりは馬が合った。
フランセルはオルシュファンの力強さに憧れたし、オルシュファンはフランセルの優しさに救われた。義母の監視下で、息苦しい生活を送っていた私生児にとって、隣家の四男坊は気の許せる数少ない友人となったのだ。
そんなふたりに、転機が訪れたのは出会いから5年後のことだった。


その日もフランセルは、父に連れ出され、貴族社会の恒例行事に出席していた。
クルザス東部低地のダークスケール湖畔で行われる「狩り」に来ていたのだ。チョコボに乗り獣を追う狩猟は、貴族にとって重要なものだ。それは遊技であると同時に貴族同士の交流の場であり、騎乗術と連携を培うための軍事訓練でもある。
この年、11才になったばかりの息子を、狩りに連れ出した父の行いは、貴族としてごく当たり前のことだった。
「鷹の動きを見るのだ。あの下に騎兵たちに追い立てられた獲物がいるぞ」
手柄を立てさせて、自信を付けさせようというのか、父は何度も息子に助言を与えた。
そんな父に恥は掻かせられぬと思うのが、フランセルという少年だ。
「仕留めて参ります!」
手綱を軽く握り、足で合図を与えて愛チョコボを走らせ、目星を付けた湖畔の林に向かう。
武術は今ひとつのフランセルだったが、オルシュファンに叩き込まれた騎乗術だけは上達していた。鞍上が軽いこともあって、彼のチョコボは軽やかに大地を蹴ると、瞬く間に父の部下たちを引き離した。
その時、前方の林の中から数羽の野鳥が飛び立つのが見えた。
「あそこに何かいるんだ!」
彼の観察眼は確かで、微かな変化を見逃さないだけの冷静さもあったのだが、気の優しいフランセルは、人の悪意に鈍感すぎた。
林の中で彼を待っていたのは獣ではなく、「貴族の馬鹿息子」を捕らえて身代金をせびろうと考える悪党だったのだ。
あっという間の出来事だった。三人の男に囲まれたフランセルは、逃げる間もなく棍棒で打ち据えられ、気絶してしまったのである。


目覚めた時、彼は縄で両手を縛られ、汚らしい布で猿ぐつわを噛まされている状態だった。
そこは猟師か木樵が使う類いの山小屋のようだったが、どこなのかは解らない。
「気が付いたか、ボウズ……。いいか、大人しくしていろよ……」
実に陳腐な脅し文句だったが、11才のフランセルには抜群の効果を示した。いつか父の騎兵たちが助けに来てくれるだろうと考えてはみたものの、どうにも恐怖は去ってくれない。
その時……山小屋の扉が激しい音を立てて打ち破られ、何かが転がり込んできた。
「な、なんだァッ!?」
フランセルを脅していた暴漢が振り返る。
その視線の先には、腹を刺されて倒れ込んだ仲間と、フラリと立ち上がる銀髪の少年の姿があった。手にした狩猟用の短剣が、血で濡れている。
「テメェ、よくもッ!」
激高した暴漢が棍棒を手に打ちかかったが、銀髪の少年……オルシュファンは易々と身を躱し、短剣を一閃させる。獣のような絶叫と共に男の腕から血が噴き出し、棍棒がゴトリと床に落ちた。
フォルタン伯爵の従者として狩りに参加していたオルシュファンが、友の異変を察知し、いち早く駆けつけてくれたのだ。
「もう大丈夫だぞ、フランセル!」
頼れる友の手で猿ぐつわを解かれた瞬間、フランセルは絶叫した。
「犯人はふたりじゃない、もうひとりいるんだ!」
だが、警告は遅かった。オルシュファンが振り向いた時、裏口に三人目の男が立っていた。
血を流して倒れる仲間を見て、怒りに震えた男が弓に矢をつがえる。
「身代金はナシだ……今すぐブッ殺してやる!」
フランセルは、放たれた矢が、ひどくゆっくりと向かってくるのを知覚していた。
「危ないッ!」
咄嗟にぎゅっと閉じた目を、おそるおそる開けた時には、すべてが終わっていた。
いったい何が起こったのか?
「今度こそ、もう大丈夫だぞ」
弓を手にした男が、血を流して倒れている。そして、オルシュファンの左腕に、深々と矢が突き刺さっていた。
「盾があれば、良かったのだがな」
なんと彼は、フランセルに向けて放たれた矢を自らの左腕で受け止め、その上で反撃に転じていたのだ。何の躊躇もなく、身を盾にしたオルシュファンの行動に、ただただフランセルは感激した。

こうして、アインハルト家四男誘拐事件は幕を閉じた。
後日、一命を取り留めた犯人のひとりが、こう供述した。剣を手にした銀髪の騎士に倒されたのだ、と。狩猟用の短剣は剣ではないし、オルシュファンも騎士ではない。それは学のない貧民の勘違いであったのだが、ほどなく真実となった。
フランセル救出の功績により、オルシュファンは騎士爵を授与されると同時に「銀剣」の異名を得たのである。
夢を掴んだ友を祝福し、あらためて礼を伝えようと訪れたフランセルに、彼は笑ってこう答えた。
「イイ騎士とは、民と友のために戦うもの……それだけのことだ」

「女王陛下の二度目の宣誓」


事の顛末を聞いたのは、目覚めて三日後のことだった。
幼い頃から警護役としてナナモを守り、引退した今でも何かと世話を焼いてくれる元近衛騎士のパパシャンから、一連の事件についての報告を受けたのである。
まさに衝撃の連続だった。ラウバーンの左腕喪失と、光の戦士を筆頭とする「暁の血盟」についての話を聞いたときには、怒りにまかせてロロリトを処断せよと激したほどだ。
だが、パパシャンは静かに首を振ってこう言った。
「まずはロロリト殿の真意をお確かめください。何事も事を急いて良いことはありませぬぞ」
後日、ウルダハ王宮内の「香煙の間」に、三人の男女が招かれた。
疑惑の中心人物であるロロリト・ナナリト、不滅隊局長ラウバーン・アルディン、そしてナル・ザル教団大司教デュララ・デュラ、いずれも砂蠍衆に名を連ねる要人である。
共和派、王党派、中立派のそれぞれ一名という人選だ。
「これは弁明の機会……と考えて、よろしいのですかな?」
開口一番、ロロリトはふてぶてしくそう言った。
「……何か述べておきたいことがあるのなら、言ってみるがいい」
できるだけ平静に見えるようにと願いながら、ナナモは促した。
「それでは」とつぶやいて一呼吸をおいた後、ロロリトは仮面を外した。
そもそも謁見の場で、仮面を付けていること自体が不敬の現れであるのだが、絶対的な権力者であるロロリトは、「強い光が眼の毒となる」という理由で、決して素顔を見せることはなかった。その仮面を、おもむろに外したのである。
「率直に申し上げて、ナナモ女王陛下は、ウルダハに迫る危機を甘く見ておられる」
金色の瞳で、まっすぐ女王を見据えて、老商人は言った。
自ら弁明と言いながらの女王批判に、ラウバーンは眉間にしわを寄せるも、場をわきまえたのか静かに顔を伏せる。これを横目に追ったナナモはロロリトに次の言葉を促した。すべてを聞き、その上で判断する。結論を急いで、何かを失うのはもう嫌なのだ。

ロロリトの主張は、おおよそ次のようなものであった。
新皇帝の誕生により、ガレマール帝国によるエオルゼア侵攻の再開は、もはや時間の問題である。そのような状況で、国家の体制を変えようとは無謀にも程があるというのだ。
テレジ・アデレジが、これを止めんとして女王暗殺を企て、一方のロロリトは、この陰謀を利用した。ナナモを昏睡状態とすることで体制を維持しつつ、テレジ・アデレジの排除を狙ったのである。ここまでは、パパシャンから聞いた通りの内容だった。
「このように強硬な手段を採らざるを得なかったのは、
 女王陛下が王政廃止という重要な決断を、我ら砂蠍衆への相談なしに決めたためであります。
 せめて、腹心のラウバーンには相談すべきでしたな」
その言葉は、ナナモの胸に棘となって突き刺さった。
相談すれば止められるであろうと考えたからこそ、ラウバーンに伝えなかった。
悪化し続ける難民問題を解決するためにも、民の声を政に届ける体制を作りたかった。
コロセウムの永世チャンピオンであるラウバーンは、民に絶大な人気を誇るがゆえに、共和制移行後も政権に参加できるであろうとの期待もあった。無論、ロロリトら豪商たちが民を買収することもあろうが、それさえ富の分配に繋がると考えての決断だった。
だが、結果として一連の騒動が巻き起こり、ラウバーンは左腕を失い、大恩ある「暁の血盟」を事実上の崩壊に追い込んでしまった。いくら後悔しても、後悔しきれぬ結末である。
「ワシの描いた策にも綻びはありました。そのひとつが、暁の連中を取り逃がしたこと。
 まさか王宮内で大立ち回りを演じるとは……あれで事態が複雑化したのは事実」
ロロリトは抑揚のない声で淡々と語り続けた。
女王暗殺の嫌疑を光の戦士に向け、「暁の血盟」の排除を狙ったのは、テレジ・アデレジの考えだったという。フロンティア計画を邪魔された件に対する報復であろうというのが、ロロリトの見解だ。ロロリト自身に「暁」への怨みはなかったが、すべてが終わるまでの間、イルベルドが彼の手駒であることをテレジ・アデレジに悟られる訳にはいかない。
従ってあの場では「暁」関係者を拘束する必要があったし、事が終わってから嫌疑が晴れたとして釈放すれば良いと考えていたようだ。
完全な被害者である「暁」に対し、責任を転嫁するかのような物言いに、ナナモは内心腹を立てたが、どうにか言葉を呑み込んだ。
「そして、もうひとつはイルベルドの離反……。
 ラウバーンの処遇を巡り、対立したことは、すでにご存知のことでしょう」
確かに知っている。
では、なぜ雇い主であるロロリトの意向に反し、イルベルドはラウバーンの殺害に固執したのか?
その疑問に対しても、ロロリトは回答を用意していた。
手を握った際に約したとおり、イルベルドに資金と武器を与え、アラミゴ難民を組織化させる。そして、レジスタンスを編成してアラミゴに送り込み、帝国軍の動きを阻害させて時間を稼ぐ。ウルダハ周辺から難民の数を減らす効果もあり、一石二鳥であろうとはロロリトの弁だ。
だが、ラウバーンの存在が問題となった。アラミゴ難民たちは、砂蠍衆にまで上り詰めたラウバーンという希望を目にしたことで、ウルダハでの成功を夢見ていたのだ。帝国の圧政に苦しむ故郷アラミゴという現実から目を背けて……。
「アラミゴ難民を夢から覚ますには、ラウバーンの死が必要だったという訳ですな。
 とはいえ、女王陛下にふたたび玉座に就いていただくには、
 ラウバーンの生存は不可欠でありましょう。そこが我らの対立点だったのです」
ラウバーンが殺害されていたとしたら、自分はどうしていただろう?
とてもではないが、正気を保っていられた自信が無い。自暴自棄になり、ふたたび王政廃止を宣言した可能性すらある。その点、ロロリトの読みは正しかったと言えるだろう。
スラスラと自分の陰謀を語ったロロリトは、最後に一枚の羊皮紙を差し出した。
「お収めください、女王陛下……」
それは、ロロリトが管理するテレジ・アデレジの資産のすべてと、彼自身の財産の半分を、王宮に献納するという契約書であった。
「ロロリト……貴様、金ですべてを終わりにさせるつもりか!」
ロロリトの態度にしびれを切らしたラウバーンが立ち上がるのを、ナナモは手を上げて制した。
「金を支払うことこそ、商人の責任の取り方……。
 この資金を、暁への支援に充てるも、難民救済に用いるも、陛下の御心のままに……。
 とはいえ、帝国軍への対策だけは早急に着手するよう、進言しておきますよ。
 では、これにて失礼させていただくとしましょう」
さも当然のように、ふたたび仮面を身に付けると、退出の許可を得ることなくロロリトは「香煙の間」を後にした。


ロロリトとの面会を終えた後、ナナモは私室に戻り、ひとり考え続けた。
決して彼のやり方を許すことはできない。しかし、自分の考えた共和制移行の手法に問題があったことも、今となっては認めない訳にはいかない。
自分のあさはかな決断が招いた混乱と犠牲……。その責任を取るには、何を成すべきなのだろうか?
少なくともロロリトは、彼にとって血肉にも等しい財産を、半分差し出すという決断をしてみせた。では、未だ女王の座にある彼女は何を成すべきなのだろうか?
「ラウバーンをここへ!」
新顔の侍女に連れられ私室を訪れたラウバーンに、ナナモは羊皮紙を手渡した。
ロロリトの契約書に、ナナモの署名が記されているのを見て、ラウバーンは眉をひそめた。
そんな彼に、ナナモは言い放った。
「妾は、ロロリトが嫌いじゃ!」
「ハッ……」
「だが、それ以上に自分自身が嫌いじゃ。
 最も信頼すべき者に相談することもせず、砂蠍衆の言葉に耳も貸さず、
 大恩ある者を傷つけた妾は、本物の愚か者じゃ!」
何と答えて良いものか、ラウバーンは言葉に詰まった様子で、頭を垂れている。
「ロロリトは非道で、非情で、強欲じゃ。
 しかし、それでも有能で、何よりウルダハを守ろうと力を尽くしたのじゃ」
様々な感情が渦めき、ナナモは葛藤した。だが、それでも決意を固める。
敬愛する彼女の姿を、いつの間にかラウバーンは父親のような表情で眺めていた。
ナナモはラウバーンに向き直ると、力強く言った。
「今すぐ、八官府の長を集めよ!
 山の都イシュガルドを、エオルゼア同盟軍に復帰させる手立てを考える!
 ガレマール帝国に対抗する方策を模索するのじゃ!」
ナナモは、一息置くと続ける。
「ラウバーン。妾は、あのような男をも使いこなせる女王になってみせる!」
それは、ナナモの宣誓だった。
かつて5歳で王位を継いだときに、意味も分からずに述べた戴冠式での宣誓とは異なる。本物の決意が込められた宣誓だ。
「ハッ!」
ラウバーンは、砂都に女王が戻ったことを、今更ながらに実感した。
砂の女王と、隻腕の将軍に、ふたたび笑みが戻ったのだ。